同じくらい混んでいる電車のはずなのに、ある日はギリギリ耐えられて、別の日は異様にしんどい——そんな経験はないでしょうか。実はその違いを分けているのは、車両全体の混み具合ではないかもしれません。
2007年に発表されたある調査は、139人の通勤客を対象に、電車の混雑と体への負荷の関係を唾液や課題成績まで使って調べました。結果は意外なものでした。車両全体の混雑度は、ストレスの指標とほとんど関係していなかったのです。効いていたのはただ一点、両隣の人とどれだけ近い距離で座っているかでした。
「混んでいるからつらい」という直感は、半分正しくて半分ずれている——そう報告する研究を、関連する数本の論文とあわせて見ていきましょう。
なぜ「混雑」と「ストレス」はイコールではないのか
通勤電車の研究には、実は半世紀近い歴史があります。1976年、スウェーデンの研究者ウルフ・ルンドバーグは、ストックホルム近郊の通勤列車に乗る乗客を対象に、混雑の度合いが異なる2本の便で尿中のアドレナリン・ノルアドレナリン(=興奮や緊張の際に体内で増える物質)の量を測定しました。結果、より混雑した便に乗った乗客のほうが、これらの物質の排出量が高くなったと報告されています。
この結果だけを見ると「混雑=ストレス」という単純な図式に見えます。しかし、その後の研究者たちは「混雑」という言葉があいまいすぎることに気づき始めます。車両全体に何人乗っているかという密度の話なのか、自分の体の周りにどれだけ他人が近いかという個人空間(パーソナルスペース)の侵害の話なのか。この2つは似ているようで、じつは別の現象かもしれない——という疑問です。
実験:139人の通勤客を、密度と近さで別々に測った
この疑問に正面から答えたのが、コーネル大学のゲイリー・エヴァンズとニューヨーク工科大学のリチャード・ウェナーが2007年に『Journal of Environmental Psychology』誌に発表した研究です。米国ニュージャージー州からニューヨークへ向かうラッシュ時の通勤列車で、139人の乗客を対象に調査が行われました。
この研究の工夫は、「混雑」を2つの別々の指標に分けて測ったことです。
- 車両密度:その車両全体にどれだけ人が乗っているか
- 座席密度(個人空間の近さ):その乗客自身の座席まわりに、どれだけ他人が近接しているか
そのうえで、ストレスの指標として3種類のデータを集めました。自己申告によるストレス・気分の評価、唾液に含まれるコルチゾール(=ストレスホルモンと呼ばれる物質)の量、そして目的地に着いた直後に行う校正(こうせい)課題(文章の誤りを見つける作業)の成績です。校正課題は、直前の体験がその後の集中力や粘り強さにどう影響するかを見るための、行動レベルの指標として使われました。
結果:車両の混雑ではなく、隣との近さがすべての指標を動かした
報告された結果は、研究チーム自身が論文のタイトルに込めたとおりでした。車両全体の密度は、自己申告のストレス・唾液コルチゾール・校正課題の成績のいずれとも、意味のある関係を示しませんでした。一方で、座席まわりの近さ(個人空間の侵害の度合い)は、この3つの指標すべてに有意な影響を与えていたと報告されています。両隣に人が近く座っている状態ほど、ストレスの自己申告は高く、コルチゾールは上がり、校正課題の成績は下がる傾向が見られたのです。
この論文が引用しているように、個人空間が近すぎることの不快感は、それ以前から人類学者エドワード・ホールらが提唱してきた「プロクセミクス(近接学)」の理論とも一致します。見知らぬ他人とは、ある程度の距離を保ちたいという傾向は、電車の中でも消えないということです。
もうひとつ、体の内側で何が起きているかをより詳しく覗いた研究があります。2025年に発表されたパイロット研究では、ロンドンの地下鉄車両を模した環境で、機能的近赤外分光法(fNIRS=脳の血流変化を測る手法)を使い、混雑した状態で通勤する際の前頭前野(=判断や集中力に関わる脳の部位)の活動を観察しました。その結果、混雑した条件では酸素化ヘモグロビン濃度(=脳がより多くの酸素を使っている、つまり負荷がかかっているサイン)が徐々に上昇し、特に電車が減速して停車に近づく場面で顕著に高まったと報告されています。混雑していない条件では、こうした上昇は見られませんでした。
なぜこうなるのか
なぜ車両全体の人数よりも、隣との距離のほうが体に響くのでしょうか。研究者たちが挙げる説明はいくつかあります。
ひとつは、人間が本能的に持っている個人空間への感覚です。見知らぬ人が体に触れそうな距離まで近づいてくると、たとえ相手に敵意がなくても、体は警戒モードに入りやすいとされています。車両の反対側に大勢の人がいても、自分の体に直接触れていなければ、脳はそれを「今すぐ対処すべき近い脅威」としては扱いにくい、という理屈です。
もうひとつの鍵になるのが、予測できるかどうか・自分でコントロールできるかどうかという感覚です。英国の鉄道環境を対象にした2006年のレビュー論文では、高密度の環境そのものが必ずしもストレスを生むわけではなく、状況を予測でき、自分でコントロールできると感じられるかどうかが、ストレス反応の大きさを左右する重要な要因だと整理されています。事実、エヴァンズらが2002年に発表した別の調査では、通勤にかかる時間の長さそのものよりも、「今日はどれくらいで着くか予測しにくい」という感覚のほうが、ストレスの自己申告や唾液コルチゾールの上昇と関係していたと報告されています。
この2つを組み合わせると、満員電車のつらさの輪郭が見えてきます。車両全体の人数は「まだ何とかなる」と思える範囲でも、体に密着するほど近い他人と、いつ降りられるか分からない停車のタイミングが重なったとき、体は最も強く反応する、というわけです。
この話、こう使える
特定の対策そのものを検証した実験ではありませんが、ここまでの研究から導ける現実的なヒントがあります。
注意点:この研究の限界
ここまで読むと「満員電車は全部隣との距離の問題だ」と言いたくなりますが、それは行き過ぎです。研究の外側まで結論を伸ばさないために、正直に限界も書いておきます。
- 対象は米国の特定路線の通勤客139人。 ニュージャージー〜ニューヨーク間という特定の路線・文化圏での調査であり、車両の構造や乗客の行動様式が異なる路線にそのまま当てはまるとは限りません。
- 横断的な調査であり、個人差の影響を排除しきれない。 もともとストレスを感じやすい人が、混んでいる車両や近い座席を選びがちだった可能性など、因果関係の向きを完全には確定できません。
- 性別による違いを報告した研究もあるが、一般化はできない。 インドの通勤客300人を対象にしたMohanら(2022)の調査では、女性のほうが通勤の負の影響を強く受けていたと報告されていますが、これは特定の都市・特定の路線環境での結果であり、他の地域や路線にそのまま当てはまるとは限りません。
- fNIRSの脳血流研究はまだパイロット段階。 2025年の研究は小規模な予備調査であり、結果は今後の追試で確かめられていく段階にあります。
要するに、満員電車のストレスは単純な「人数」の問題ではなく、距離・予測可能性・個人差が絡み合った現象だということです。仕組みの一端が分かるだけでも、翌朝の一手を選ぶ材料にはなります。
よくある質問
今日の3行まとめ
予測しにくさ・コントロール感の低さが、ストレス反応をさらに強めると報告されている(Cox et al., 2006; Evans et al., 2002)。
「混んでいるからつらい」のではなく「近くて、先が読めないからつらい」と捉え直すと、乗車位置や工夫の余地が見えてくる。
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参考文献
- Evans, G. W., & Wener, R. E. (2007). Crowding and personal space invasion on the train: Please don't make me sit in the middle. Journal of Environmental Psychology, 27(1), 90–94. 論文を見る
- Lundberg, U. (1976). Urban commuting: Crowdedness and catecholamine excretion. Journal of Human Stress, 2(3), 26–32. 論文を見る
- Cox, T., Houdmont, J., & Griffiths, A. (2006). Rail passenger crowding, stress, health and safety in Britain. Transportation Research Part A: Policy and Practice, 40(3), 244–258. 論文を見る
- Evans, G. W., Wener, R. E., & Phillips, D. (2002). The Morning Rush Hour: Predictability and Commuter Stress. Environment and Behavior, 34(4), 521–530. 論文を見る
- Yang, Y., et al. (2025). Investigating the impact of crowded train commuting on cognitive load: A pilot study. Advanced Design Research. 論文を見る
- Kumagai, J., et al. (2020). Do commuters adapt to in-vehicle crowding on trains? Transportation. 論文を見る
- Mohan, R., et al. (2022). Stress and Adaptation Among Mumbai Local Train Commuters. Psychological Studies. 論文を見る