もし今夜、月がふっと空から消えてしまったら——地球はどうなると思いますか。「潮の満ち引きが弱くなる」くらいで済むと考えている人が多いかもしれません。ですが研究者がシミュレーションで確かめたのは、もっと根本的な話でした。月がなければ、地球の地軸の傾きは今のように安定していなかった可能性がある、というのです。
そして実は、その月は今この瞬間も、私たちから少しずつ遠ざかっています。アポロ計画の宇宙飛行士が月面に置いてきた小さな鏡に地球からレーザーを撃ち込み、往復にかかる時間を測る——そんな半世紀がかりの観測によって、月は1年あたり約3.8cmのペースで地球から離れていることが確認されています。爪が伸びる速さとほぼ同じ、というと拍子抜けするかもしれません。しかしこのわずかな変化が、6億年以上という時間の中で「1日の長さ」を変え、地球の気候の安定にまで関わってきたと考えられています。今回は、月と地球の距離をめぐる観測と、月が地軸の傾きを守っているとする研究を紹介します。
なぜ月は遠ざかっていくのか
月が地球の海に及ぼす引力は、地球の海面を月のある方向にわずかに膨らませます。これがいわゆる潮汐(ちょうせき=月や太陽の引力による海面の周期的な上下)の膨らみです。ここで見落とされがちなポイントがあります。地球は月よりずっと速く自転しているため、この海面の膨らみは、月がちょうど真上に来る位置よりも少しだけ自転方向側に引きずられてしまうのです。
引きずられた膨らみは、わずかながら余分な質量のかたまりです。それが月を自転方向に向けてほんの少し引っぱる形になり、月には公転を後押しする力(トルク)が加わります。エネルギーと角運動量(回転の勢いを表す量)の帳尻を合わせるように、月はより外側の、よりゆっくりした軌道へと少しずつ移動していきます。一方の地球は、月にブレーキをかけられる形で自転が徐々に遅くなり、1日の長さがほんのわずかずつ伸びていきます。
この現象自体は新しい発見ではありませんが、「では実際に、どれくらいの速さで起きているのか」を正確に測るのは簡単ではありません。地球と月の距離は平均で約38万kmもあり、年に数センチという変化を検出するには、途方もない精度が必要になるからです。
観測:アポロが残した鏡と、半世紀にわたるレーザー測距
この精度を実現したのが、1969年から1971年にかけてアポロ11号・14号・15号の宇宙飛行士たちが月面に設置した再帰反射鏡(コーナーキューブ)です。これは特殊な形状の鏡で、どの角度から光を当てても、来た方向にそのまま光を跳ね返す性質を持っています。
地球側の天文台からこの鏡めがけてレーザーパルスを発射し、光が往復してくるまでの時間を計測する——これが月レーザー測距(Lunar Laser Ranging, LLR)と呼ばれる手法です。光の速さは既知なので、往復時間から地球と月の距離を逆算できます。現在ではこの往復時間をピコ秒(1兆分の1秒)単位で計測できる精密さに達しており、地球・月間の距離をミリメートル単位まで求められるようになっています。
Williams & Boggs(2016)は、この半世紀分のLLRデータを解析し、月がとおる軌道の長半径(平均距離)が年38.30±0.08mm、およそ3.83cmのペースで拡大していると報告しています。これが冒頭で紹介した数字の出どころです。
結果:距離が3%変わると、1日の長さは2時間変わっていた
では、この後退が「今に始まった話」なのか、それとも「大昔からずっと続いてきた話」なのかはどう確かめればよいのでしょうか。ここで登場するのが、地質学的な記録です。
オーストラリア南部には、約6億2000万年前の地層に潮汐リズマイト(潮の満ち引きが砂や泥を層状に積み重ねてできた地層)が残っています。潮の満ち引きは月の公転や地球の自転のリズムと連動しているため、この縞模様を1層ずつ数えることで、当時の「1日の長さ」や「1年あたりの日数」を読み取ることができます。
Williams(1997)がこの地層を分析した結果は次のとおりでした。
| 時期 | 1日の長さ | 1年あたりの日数 | 月までの距離(現在比) |
|---|---|---|---|
| 約6億2000万年前 | 約21.9時間 | 約400日 | 約96.5% |
| 現在 | 24時間 | 約365.25日 | 100% |
月までの距離の差はわずか3.5%ほどですが、それが積み重なった結果、1日の長さは約2時間も違っていたことになります。同じ研究では、この期間の平均的な後退速度を年2.17±0.31cmと算出しており、現在のLLRで測られている年3.83cmより、ゆっくりだったことも示されています。つまり後退の速さは一定ではなく、時代によって変化してきたと考えられています。
もうひとつ、実測でこの傾向を裏づける研究があります。Stephenson, Morrison & Hohenkerk(2016)は、紀元前720年から現在までの日食・月食の記録と、天体が月に隠される「星食」の観測記録を組み合わせて、1日の長さの変化を実測しました。その結果、1世紀あたり平均+1.8ミリ秒のペースで1日が長くなっていることが確かめられています。ちなみに潮汐摩擦だけから理論的に予測される値は+2.3ミリ秒/世紀で、実測値のほうが小さいことから、氷床の融解に伴う地殻や海水分布の変化など、月の潮汐以外の要因も日長に影響していると考えられています。
なぜ月の存在が地球の傾きを守るのか
ここまでは「距離」と「1日の長さ」の話でした。もうひとつ、月には見過ごされがちな役割があります。それが地軸の傾き(公転面に対してどれだけ傾いているか。これが季節を生む)を安定させる働きです。
地球の地軸は現在、23.3度前後の傾きを保ち、その揺れ幅は±1.3度ほどに収まっています。この程度の揺れであれば、四季の巡り方は長期にわたって大きくは変わりません。ところがLaskar, Joutel & Robutel(1993)が『Nature』誌に発表したシミュレーションによれば、これは決して当たり前のことではありませんでした。
惑星の地軸は、太陽や他の惑星から受ける重力の影響で、本来カオス的(=わずかな条件の違いで将来の挙動が大きく変わってしまう性質)に振る舞う領域を持っています。研究チームが月の重力による効果を計算に含めて解析したところ、月があることで地球はこのカオス的な領域から外れ、狭い範囲の首振りに落ち着いていることが分かりました。逆にシミュレーション上で月の重力を取り除くと、地軸の傾きは0度から85度近くにまで不規則に変動しうる、という結果が得られています。
傾きが0度から85度まで不規則に振れるというのは、たとえるならコマの軸が定まらず、ときどき真横近くまで傾いて回り続けるような状態です。もし地軸がそこまで大きく暴れたら、極域が真夏に太陽をほぼ真上から浴びる時期と、何年も太陽がほとんど昇らない時期が交互にやってくるような、極端な気候変動が起きていたかもしれません。月という「重し」が、その振れ幅を静かに抑え込んでいた、というのがこの研究の核心です。
この話、こう使える
年3.8cmという数字だけを聞くと、正直なところ「だから何?」と思ってしまうかもしれません。ティッシュ1枚分にも満たない変化です。しかしこの記事で見てきたように、それが6億年という時間をかけて積み重なると、1日の長さを2時間変え、地球の気候の土台にまで関わる差になっていました。小さすぎて実感できない変化ほど、「積み重なった結果」で判断するしかない——これは天文現象に限らず、日々の勉強や習慣にも通じる考え方です。1日の差はほぼゼロに見えても、半年後・1年後に振り返ると別人のような差になっている、という経験がある人は多いはずです。
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そして何より、今回の話は今夜の空を見上げるだけで追体験できます。天気が良ければ、年3.8cmずつ遠ざかっているはずの月を、実際に眺めてみてください。
注意点:この研究の限界
- 地層から求めた古い時代の値は、間接的な推定です。 Williams(1997)による6億2000万年前の月・地球間距離は「現在の96.5±0.5%」という誤差を伴う推定値であり、地層の解釈や年代測定の精度に依存しています。
- 「月がなければ」の結果はシミュレーションです。 Laskarらの研究は、実際に月を取り除いて確かめた実験ではなく、重力の計算にもとづく数値シミュレーションです。前提となるモデルや計算条件によって結果は変わりうるため、「必ずそうなる」という断定ではありません。
- 1日の長さの変化は、月の影響だけで説明できるわけではありません。 Stephensonらの実測値(+1.8ミリ秒/世紀)は、潮汐摩擦のみから予測される理論値(+2.3ミリ秒/世紀)より小さく、氷床の融解などほかの要因も関わっていると報告されています。
- 天文学的なスケールの現象です。 ここで紹介した変化はいずれも数百万年〜数億年単位で意味を持つものであり、人間一人の一生や、社会の営みに直接影響するようなスケールの話ではありません。
よくある質問
今日の3行まとめ
6億2000万年前は距離が今の96.5%、1日はいまより2時間短かったと地層が語っています。
そして月の重力は、地球の地軸の傾きをカオス的な変動から守る"重し"としても働いてきたと考えられています。
「小さな変化が積み重なって大きな差になる」という感覚は、英語学習にもそのまま当てはまります。日々の学習を見直したい人は英会話の独学勉強法もあわせてどうぞ。
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- Williams, J. G., & Boggs, D. H. (2016). Secular tidal changes in lunar orbit and Earth rotation. Celestial Mechanics and Dynamical Astronomy, 126, 89–129. 論文を見る
- Williams, G. E. (1997). Precambrian length of day and the validity of tidal rhythmite paleotidal values. Geophysical Research Letters, 24(4), 421–424. 論文を見る
- Stephenson, F. R., Morrison, L. V., & Hohenkerk, C. Y. (2016). Measurement of the Earth's rotation: 720 BC to AD 2015. Proceedings of the Royal Society A, 472(2196). 論文を見る
- Laskar, J., Joutel, F., & Robutel, P. (1993). Stabilization of the Earth's obliquity by the Moon. Nature, 361, 615–617. 論文を見る