一卵性双子として生まれ、まったく同じDNAを持つふたりの人間。片方は宇宙で340日を過ごし、もう片方は地球でいつもどおりの生活を送ったとしたら、半年後のふたりの体にはどんな違いが残るでしょうか。

この問いに実際に答えを出したのが、NASAの元宇宙飛行士スコット・ケリー氏と、双子の弟でやはり元宇宙飛行士のマーク・ケリー氏を被験者にした「双子研究(Twins Study)」です。10の研究チームが遺伝子・血液・認知機能などを多角的に追跡した成果は、2019年に学術誌『Science』で報告されました。

宇宙から戻ったスコット氏の体では、変化した遺伝子の働き方のうち93%が数か月のうちに元通りになった一方、7%は半年経っても戻らないままだったと報告されています。あわせて、宇宙飛行が目に及ぼす変化を調べた別の研究も見ながら、宇宙という極限環境が人体に何を起こすのかを追っていきます。

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なぜ「双子」を比較する必要があったのか

宇宙飛行が人体に与える影響を調べるのは、実はとても難しい研究です。長期間宇宙に滞在した人間の数がそもそも少なく、しかも一人ひとり体質も生活習慣も違うため、「宇宙のせいで起きた変化」なのか「もともとの個人差」なのかを切り分けにくいのです。

そこで威力を発揮するのが、遺伝的にほぼ同一な一卵性双子という存在です。片方だけを宇宙に送り、もう片方を地球に残して同じように検査すれば、遺伝的な条件をそろえたまま「宇宙にいたかどうか」という一点だけを比較できることになります。マーク氏が地上で"対照群"の役割を果たしたことで、この研究は成立しました。

実験:340日を宇宙で、地上で暮らす双子と比べる

スコット・ケリー氏は2015年から2016年にかけて、国際宇宙ステーション(ISS)に340日間滞在しました。同じ期間、マーク・ケリー氏は地球で通常の生活を送り、定期的に血液や尿、認知機能テストのデータを提供しています。

10の研究チームは、打ち上げ前・宇宙滞在中の複数の時点・着陸直後・そして着陸から6か月後までの各段階で、次のような項目を追跡しました。

💡 サンプル数はたった1組という弱点も この研究は被験者が双子1組だけという、通常の医学研究とは大きく異なる設計です。統計的な一般化はできませんが、「遺伝的に同一な人間を、宇宙にいた場合といなかった場合で比較する」という状況自体が世界でも極めて稀であるため、貴重な一次データとして扱われています。

結果:テロメアは宇宙で伸び、着陸後すぐに縮んだ

まず意外だったのがテロメアの変化です。加齢とともに短くなるとされるテロメアが、スコット氏の宇宙滞在中には有意に伸びていたと報告されています。ところがこの変化は長続きせず、地球に帰還してから2日以内に、大部分が元の長さへ戻ったとされています。

遺伝子の発現についても、宇宙滞在中は数千の遺伝子で活動レベルが変化しました。着陸後の追跡調査では、そのうち93%が数か月のあいだに元のレベルへ戻った一方、7%は半年後の時点でも宇宙滞在前の状態に戻っていなかったと報告されています。戻らなかった遺伝子群には、免疫機能・DNA修復・骨の形成・低酸素や二酸化炭素濃度への反応に関わるものが含まれていました。

認知機能テストの成績にも変化がありました。宇宙滞在中はマーク氏と比べても大きな差は見られなかったものの、着陸後には反応の速さと正確さが低下し、その傾向が6か月間続いたと報告されています。

指標宇宙滞在中に起きたこと地球への帰還後
テロメアの長さ有意に伸びた帰還から2日以内に元の長さへ
遺伝子発現の変化数千の遺伝子で活動レベルが変化93%は元通り、7%は半年後も未回復
認知機能(速さ・正確さ)大きな変化は見られず着陸後に低下し6か月継続
図1:宇宙滞在中に変化した遺伝子発現は、6か月後どうなっていたか
93% 7% 元のレベルに戻った 戻らなかった 100% 0%
大多数の変化は一時的だったが、免疫・DNA修復・骨形成などに関わる一部の遺伝子では、変化が半年後も残っていた。
出典:Garrett-Bakelman et al. (2019) およびNASA公表資料の報告値をもとに作図
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もうひとつの変化:目に何が起きていたのか

宇宙飛行士の体で報告されているもう一つの代表的な変化が、目の構造です。2011年、Thomas H. Maderらの研究チームが『Ophthalmology』誌に発表した報告では、6か月前後にわたってISSに滞在した宇宙飛行士7人を調べたところ、次のような所見が見つかったとされています。

この報告をきっかけに、こうした目や脳まわりの変化は「宇宙飛行関連神経眼症候群(SANS)」と呼ばれるようになりました。Lee, Mader らが2020年に『npj Microgravity』誌にまとめたレビュー論文でも、長期宇宙滞在後に一定の割合で同様の所見がみられることが確認されています。ただし、どのくらいの割合の宇宙飛行士に起きるかは研究や診断基準によって報告に幅があり、今も調査が続いているのが実情です。

これまでのところ、視力が永久に失われたという報告はありません。ただし、火星のような数年単位のミッションでは影響が蓄積する可能性もあるとして、NASAはSANSを重要なリスクのひとつに位置づけています。

なぜこうなるのか:体液のシフトと"極限のストレス"

目に起きる変化の主な原因として有力視されているのが、体液の移動です。地球上では重力によって体液の多くが下半身にとどまりますが、無重力の宇宙では体液が頭側に多く移動します。宇宙飛行士の顔がむくんで見えたり、脚が「鳥の脚」のように細く見えたりするのはこのためだと説明されています。頭側に移動した体液が視神経を圧迫することが、SANSの一因として指摘されています。

遺伝子や認知機能の変化については、単一の原因ではなく複数の要因が重なった結果だと考えられています。宇宙放射線による酸化ストレス、無重力そのものの生理的負荷、閉鎖空間での隔離生活や睡眠リズムの乱れといった心理的ストレスが同時にかかることが、免疫やDNA修復に関わる遺伝子の働き方を変化させた可能性がある、というのが研究者たちの見方です。

図2:地球と宇宙で、体液の分布はこう変わる
❶ 地球(重力あり) 体液は下半身に多くとどまる ❷ 宇宙(無重力) 体液が頭側に多く移動する ※ 実測値ではなく、報告されている仕組みをもとにしたイメージ図
頭側に移動した体液が視神経のまわりを圧迫することが、目の変化(SANS)の一因として指摘されている。
SANSの機序として提案されている考え方をもとに作図(イメージ図)

この話、こう使える

「自分は宇宙に行かないから関係ない」と思うかもしれませんが、身近なヒントもあります。NASAは地上でも、宇宙飛行の影響を模した「ヘッドダウンベッドレスト」という実験を行っています。被験者にわずかに頭を下げた姿勢で長期間過ごしてもらい、体液の移動や骨・筋肉への影響を調べるものです。この種の研究からは、同じ姿勢を長く続けること自体が、体液の流れや筋肉・骨に負荷をかけることがわかっています。デスクワークが長い人にとっても、こまめに立ち上がって体を動かす習慣は理にかなっていると言えそうです。

もうひとつの教訓は「認知機能さえも、環境の負荷でゆらぐことがある」という点です。宇宙飛行士ほどの極限環境でなくても、睡眠不足やストレスは日々の集中力に影響します。当サイトには、遊び感覚で今の脳の状態を試せる英語脳年齢テストもあります。他の診断コンテンツは診断&ゲーム一覧から、科学の話をもっと読みたい人はサイエンスラボの記事一覧からどうぞ。

注意点:この研究の限界

⚠️ この研究だけで断定できないこと 双子研究は被験者が1組だけという、通常の統計的研究とは異なる設計です。「スコット氏に起きたこと」がすべての宇宙飛行士に同じように起きるとは限りません。個人差や、ミッションの期間・内容による違いも当然考えられます。

よくある質問

双子研究は「宇宙に行くと体に悪い」ということを証明したのですか?
そう単純ではありません。研究が強調しているのはむしろ人体の回復力です。宇宙滞在中に変化した遺伝子発現の93%は、地球に帰ってから数か月のうちに元のレベルに戻ったと報告されています。一方で7%は半年経っても戻らなかったという事実もあり、「ほとんどは元に戻るが、一部は痕跡が残る」というのが現時点でわかっていることです。深刻な病気になったという結果ではありません。
遺伝子の7%が「元に戻らなかった」というのは、DNAの配列そのものが変わったということですか?
いいえ、それとは違います。この研究が追跡したのは主に「遺伝子がどれだけ活発に働いているか」という発現量の変化で、DNAの文字配列(塩基配列)が書き換わったという意味ではありません。免疫やDNA修復、骨の形成に関わる遺伝子ネットワークで、宇宙滞在によって生じた働き方の変化が半年後も残っていた、という報告です。なお同じ研究では染色体の構造変化についても言及されていますが、これも配列の変異とは別の現象です。
宇宙飛行士に起きる目の変化(SANS)は治りますか?
これまでのところ、視力の永久的な喪失が確認された例は報告されていません。ただし個人差があり、地上に戻ってからの回復の程度や期間についてはまだ研究が続いている段階です。目のかすみや近くが見えにくいといった症状が気になる場合は、この記事の内容にかかわらず眼科など医療機関に相談することをおすすめします。

今日の3行まとめ

📌 これだけ持ち帰ってください 340日宇宙にいた双子の兄・スコット氏の体では、変化した遺伝子の働き方の93%が地球に戻ってから数か月で元通りになりました。
でも7%は半年経っても戻らなかった——人体は極限環境にかなり適応できる一方、完全には消えない痕跡も残す。それが今わかっている宇宙飛行の姿です。

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参考文献