駅のホームで誰かが倒れている。周りには10人、20人がいる。さて、助けに動く人は何人いるでしょうか。
直感では「人が多いほど安心」と思いたくなります。しかし心理学の実験が半世紀にわたって示してきたのは、その逆でした。周りにいる人数が増えるほど、一人ひとりが助けに動く確率は下がるのです。この現象は「傍観者効果(bystander effect)」と呼ばれ、心理学者John DarleyとBibb Latanéが1968年に発表した実験で初めて科学的に検証されました。
さらに興味深いのは、この研究のきっかけになったとされる有名な殺人事件の「語られ方」そのものが、後の調査で大きく揺らいだという点です。実験の中身と、その裏にある都市伝説の崩壊まで、順番に見ていきましょう。
なぜこの研究が始まったのか
1964年、ニューヨークで起きたキティ・ジェノヴィーズさんの殺害事件は、当時の報道によって「38人の目撃者がいながら、誰も通報せず、誰も助けなかった」事件として広く知れ渡りました。この話は長年、社会心理学の教科書でも「冷淡な都市生活」の象徴として語られてきました。
ところが、Manning・Levine・Collinsが2007年に『American Psychologist』誌で発表した調査によると、話はもっと複雑でした。当時の裁判記録や警察資料、報道を丁寧に洗い直した結果、38人全員が犯行を目撃した証拠も、異常に気づいていた人たちが何もしなかった証拠も見つからなかったと報告されています。実際に事件を直接目にした人はごく一部にとどまり、通報した人もいたとされています。有名な「38人」という数字自体は、センセーショナルな報道が作り上げた寓話(parable)に近かった、というのがこの論文の結論です。
ただし、この論文の著者たちも「傍観者効果という現象そのものを否定しているわけではない」と明言しています。きっかけとなった事件の語られ方は誇張だったとしても、人数が増えるほど援助が遅れる・減るという現象自体は、その後の厳密な実験室実験で独立に確かめられているのです。ここからが本題です。
実験:発作の声が聞こえる部屋
Darley & Latané(1968)が組み立てた実験はこうです。大学生の参加者は、インターカム(簡易通話システム)を通じて、他の参加者とディスカッションをすると説明されます。実際には他の参加者は存在せず、すべて録音された音声でした。
参加者は「自分以外に、何人の人がこの会話に参加しているか」を条件によって変えて伝えられます。
- 2人条件:自分ともう1人だけが会話に参加していると思っている
- 3人条件:自分を含めて3人が参加していると思っている
- 6人条件:自分を含めて6人が参加していると思っている
会話が進むなかで、ある参加者(録音音声)が突然、発作を起こしたような苦しそうな声を上げ、助けを求めます。実際の参加者には、その声しか情報がありません。隣の部屋を覗くこともできず、ただ「自分が今、助けを呼ぶべきかどうか」を一人で判断する状況に置かれるのです。研究者が測ったのは、参加者が実験者に報告するまでの速さと、最終的に報告した人の割合でした。
結果:人数が増えるほど、動かなくなった
結果は明確でした。自分だけが声を聞いたと思っていた参加者は、85%が緊急事態を報告しました。ところが、自分を含めて6人が参加していると思っていた参加者では、報告した人の割合は31%まで落ち込みました。さらに、報告するまでの速さにも差があり、周りにいると思う人数が多い条件ほど、報告までの時間が長くなる傾向が示されています。
この結果が示すのは、冷たい人間性ではありません。参加者は性別に関わらず同様の傾向を示し、報告しなかった人の多くも、あとで「深刻な緊急事態だとは思わなかった」「他の人が既に対応していると思った」と説明したと報告されています。つまり、人格の問題ではなく、状況が人の判断を変えてしまうという点が重要です。
この現象のその後の広がりを確かめたのが、Fischerらが2011年に『Psychological Bulletin』誌で発表したメタ分析(多数の研究結果を統計的に統合する手法)です。50年近くにわたる105の効果量・参加者7,700人超のデータを統合した結果、傍観者効果は全体として安定して確認される一方で、状況が明らかに危険だと分かる緊急事態では、効果が弱まったり消えたりすることが報告されています。火事や暴力の現場のように「これは本物の危機だ」と即座に判断できる場面では、人数が多くても人は動きやすくなる、ということです。
なぜこうなるのか
Darley & Latanéは、この現象を説明する考え方として「責任の分散(diffusion of responsibility)」を提案しました。自分一人しかいない状況では、助けるかどうかの責任は100%自分にあります。しかし周りに5人いれば、「自分が動かなくても、他の誰かがやってくれるかもしれない」という思考が無意識に生まれ、責任が頭の中で分割されてしまう。結果として、誰も「自分の責任」だと感じられず、全員が動かないまま時間が過ぎていきます。
もうひとつの説明が「多元的無知(pluralistic ignorance)」です。緊急事態かどうか判断に迷うとき、人は周りの反応を参考にします。ところが周りの人も同じように判断に迷い、とりあえず平静を装っています。その「平静な顔」を見て、全員が「大したことじゃないのかも」と誤解し合う。一人ひとりは不安なのに、周りが落ち着いて見えるせいで、全員が落ち着いているふりの連鎖に陥ってしまうのです。
この話、こう使える
知っておくだけで、二つの場面で使える知識になります。
仕事の場面に当てはめると分かりやすいかもしれません。チームで「誰かがやってくれるだろう」というタスクほど、結局誰もやらずに放置されがちです。会議で担当者を曖昧にしたまま終わると、同じ構造の失敗が起きます。役割を名前付きで割り振ること自体が、責任の分散を防ぐ具体的な対策になっているわけです。
注意点:この研究の限界
ここまで読んで「人は薄情だ」と結論づけるのは早計です。研究が示した範囲を超えないよう、いくつか補足します。
- 実験は大学生が対象で、しかも実験室という特殊な環境だった。 インターカムを通じた音声のみという状況は、実際の街中や職場の緊急事態とは条件が異なります。
- 「38人の目撃者」という逸話は誇張だった。 Manning・Levine・Collins(2007)の調査が示すとおり、この事件の「語られ方」自体を実例として使うのは不正確です。ただし、これは傍観者効果という現象自体を否定する根拠にはなりません。
- 相関と因果の線引きに注意が必要。 実験室での反応の速さ・割合の差は、人数という条件を操作して得られたものなので因果関係として報告されていますが、現実の事件・事故では他の要因(距離、危険度の見積もり、個人の経験)も同時に絡みます。
要するに、傍観者効果は「人数が多いほど自動的に冷酷になる」という話ではなく、「判断に迷う場面ほど、人数が心理的なブレーキになりやすい」という話です。迷いが生まれる余地のある場面だからこそ、知っておく価値があります。
よくある質問
今日の3行まとめ
助けを呼びたいときは「誰か」ではなく「あなた」と1人を指名する。これだけで責任の分散を防げます。
ただし命の危険が明らかな場面では、この効果は弱まる・消えると報告されています。
人の判断がどう揺らぐかに興味が出たら、サイエンスラボの他の記事でも認知バイアスや集団心理の実験を取り上げています。思わず人に話したくなる科学ネタは英語の雑学・豆知識でも毎日更新中です。
参考文献
- Darley, J. M., & Latané, B. (1968). Bystander intervention in emergencies: Diffusion of responsibility. Journal of Personality and Social Psychology, 8(4), 377–383.
- Fischer, P., Krueger, J. I., Greitemeyer, T., Vogrincic, C., Kastenmüller, A., Frey, D., Heene, M., Wicher, M., & Kainbacher, M. (2011). The bystander-effect: A meta-analytic review on bystander intervention in dangerous and non-dangerous emergencies. Psychological Bulletin, 137(4), 517–537. 論文を見る
- Manning, R., Levine, M., & Collins, A. (2007). The Kitty Genovese murder and the social psychology of helping: The parable of the 38 witnesses. American Psychologist, 62(6), 555–562.