約4万年前、ネアンデルタール人という私たちの近縁種は姿を消しました。教科書的には「絶滅」の一言で片づけられてきた出来事です。ところがいま、あなたの体の中にはネアンデルタール人由来のDNAがおそらく残っています。しかもそのDNAは、2020年のパンデミックのさなか、誰が重症化しやすいかを実際に左右していました。

これは比喩ではありません。凍った骨からゲノムを読み取り、この事実を突き止めた研究者スバンテ・ペーボは、2022年にノーベル生理学・医学賞を受賞しています。今回は、絶滅したはずの種が現代人の体の中でどう「生き続けている」のか、実在する論文をもとに追っていきます。

非アフリカにルーツを持つ人であれば、この記事を読んでいるあなたのゲノムにも、数%の確率で関わってくる話です。

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なぜ「絶滅した種」のDNAが今も残っているという発想が生まれたのか

ネアンデルタール人は、私たち現生人類(ホモ・サピエンス)が誕生するよりずっと前からユーラシア大陸に暮らしていた人類の一種です。屈強な体格を持ち、火を使い、道具をつくり、仲間を弔っていたことも分かっています。私たちの祖先がアフリカを出てユーラシアへ広がり始めたころ、両者は数万年にわたって同じ大陸で共存していました。

そして約4万年前、ネアンデルタール人は化石記録から姿を消します。ここで長らく議論の的になっていたのが、「二つの種は交雑したのか、それとも一切交わらなかったのか」という問いでした。骨の形や道具の作り方を比べるだけでは、決着のつけようがありません。答えを出すには、骨に残ったDNAそのものを読むしかなかったのです。

ただし、これは口で言うほど簡単ではありません。数万年前の骨に残るDNAはボロボロに断片化しており、しかも発掘や保管の過程で紛れ込んだ現代人・微生物由来のDNAだらけです。「本物の化石DNA」をその中から選り分ける技術がなければ、そもそも研究として成立しませんでした。

実験:凍った骨からゲノムを読み取る

この技術的な壁に挑み続けたのが、マックス・プランク進化人類学研究所のスバンテ・ペーボ(Svante Pääbo)率いる研究チームです。彼らはクロアチアのビンディヤ洞窟などから出土したネアンデルタール人の骨を使い、コンタミネーション(現代人DNAの混入)を防ぐ手法を積み重ねて、2010年に『Science』誌でネアンデルタール人ゲノムの草稿配列(ドラフトゲノム)を発表しました。

この論文では、世界各地の現代人5人分のゲノムと、読み取ったネアンデルタール人のゲノムが比較されました。もし両者が一切交雑していなければ、ネアンデルタール人のDNAはどの現代人集団に対しても同じくらいの「近さ」を示すはずです。ところが結果は違いました。

さらに同じ研究チームは、2010年に『Nature』誌でロシア・デニソワ洞窟から出土した指の骨を分析し、ネアンデルタール人ともホモ・サピエンスとも異なる、それまで知られていなかった人類集団「デニソワ人」を発見したと報告しています。これらの功績により、ペーボは2022年のノーベル生理学・医学賞を「絶滅した人類のゲノムと人類進化に関する発見」で受賞しました。

💡 この研究がすごい理由 骨のかけらから、目に見えない過去の「交配の記録」を読み取ったということです。歴史書にも化石の形にも残らない出来事を、DNAという別の記録媒体から掘り起こしたことになります。

結果:非アフリカ系の人類は、ゲノムの約2%がネアンデルタール人由来だった

2010年の草稿ゲノム論文が示したのは、ヨーロッパ人・アジア人のゲノムは、アフリカのサハラ以南の人々よりもネアンデルタール人のゲノムに近いという事実でした。これは、ホモ・サピエンスの祖先がアフリカを出たあとのどこかでネアンデルタール人と交雑し、その名残がいまも受け継がれていることを意味します。

その後、より精密な手法を用いたSankararamanらの2014年の研究(『Nature』誌)では、非アフリカ系の現代人1人あたりのゲノムのおよそ2%がネアンデルタール人由来と推定されました。個人差はあるものの、世界中の非アフリカ系集団を集めると、ネアンデルタール人が持っていた遺伝情報全体の約20%が、形を変えて人類の中に生き残っているとも報告されています。

興味深いのは、その残り方が均一ではないことです。同じ研究では、X染色体上や精巣で強く働く遺伝子の周辺には、ネアンデルタール人由来のDNAがほとんど見られない「砂漠」のような領域があると指摘されています。異種間の交雑によって生まれた子孫の一部は、生殖能力の面で不利だった可能性がある——そう解釈されています。

図1:新型コロナウイルス感染症で"逆方向"に働いた2つのネアンデルタール由来遺伝子
約50% 約16% 約50% 南アジア 3番染色体・重症化リスク遺伝子 ヨーロッパ 3番染色体・重症化リスク遺伝子 アフリカ以外 12番染色体・防御的な遺伝子 100% 75% 50% 25% 0%
3番染色体の遺伝子は重症化リスクを高め(南アジアで保有率が特に高い)、12番染色体の遺伝子は逆に重症化リスクを下げる方向に働く。どちらもネアンデルタール人由来。
出典:Zeberg & Pääbo (2020, Nature)/Zeberg & Pääbo (2021, PNAS) の報告値をもとに作図
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この「ネアンデルタール人由来の遺伝子」が、単なる過去の遺物ではないことを痛感させたのが、新型コロナウイルス感染症のパンデミックでした。ペーボと共同研究者のフッゲ・ゼベリ(Hugo Zeberg)は2020年、『Nature』誌に衝撃的な報告をしています。新型コロナの重症化リスクに強く関わる3番染色体上の遺伝子領域そのものが、ネアンデルタール人から受け継がれたものだったのです。

この遺伝子領域を持つ人は、持たない人に比べて人工呼吸管理が必要になるリスクが約3倍になると報告されています。しかもこの領域を保有する割合には地域差があり、南アジアの人々ではおよそ50%、ヨーロッパの人々ではおよそ16%が保有していると同論文は推定しています。

話はここで終わりません。同じ研究チームは翌2021年、今度は『PNAS』誌で正反対の発見を報告しました。12番染色体上の別のネアンデルタール由来の遺伝子領域は、重症化の相対リスクをおよそ22%下げる方向に働き、しかもアフリカ以外の地域でおよそ半数の人が保有しているというのです。ネアンデルタール人からの"贈り物"は、リスクを上げる方にも下げる方にも、両方働いていたことになります。

なぜこんなことが起きるのか

ここで一つの疑問が浮かびます。生殖に不利な遺伝子は「砂漠」として排除されたのに、なぜ免疫に関わる遺伝子はしっかり現代人に残り、しかも一部は集団の半数近くにまで広がっているのでしょうか。

有力な説明は「適応的移入(adaptive introgression)」と呼ばれる考え方です。ネアンデルタール人は、私たちの祖先よりずっと長くユーラシア大陸に暮らし、その土地特有の病原体やウイルスにすでに適応していました。いわばその土地の"攻略情報"を先に持っていた先住者です。アフリカから出てきたばかりの私たちの祖先が、その攻略情報が書き込まれた免疫関連の遺伝子を交雑によって受け取ったとすれば、それは新しい環境で生き延びるうえで有利に働いたはずです。自然選択によって、そうした遺伝子は世代を追うごとに集団内で頻度を増やしていった、と考えられています。

一方で、3番染色体のようにコロナ重症化リスクを高める遺伝子まで頻度を保ち続けているのは不思議に思えるかもしれません。しかしある病原体への防御に有利だった遺伝子が、何千年も後にまったく別のウイルスに対しては裏目に出る、ということは十分にあり得ます。進化は未来のパンデミックを予測してくれるわけではないのです。

図2:交雑のタイミングと、遺伝子が現代までたどった道
約6万年前:アフリカを出た人類が、ユーラシアでネアンデルタール人と出会う ホモ・サピエンス ネアンデルタール人 交雑・遺伝子の移入 免疫関連など一部の遺伝子は自然選択で頻度が増加 生殖に不利な遺伝子はX染色体などから排除(遺伝子の"砂漠") 現代人(非アフリカ系・ゲノムの約2%)
交雑後、有利な遺伝子は集団内で頻度を増やし、不利な遺伝子は世代を経て失われていった。現代人に残るのは、この選別を生き延びた約2%。
Green et al. (2010, Science)/Sankararaman et al. (2014, Nature) の報告をもとにしたイメージ図(実測値ではありません)
"for his discoveries concerning the genomes of extinct hominins and human evolution"
絶滅した人類のゲノムと人類進化に関する発見に対して
2022年、スバンテ・ペーボにノーベル生理学・医学賞が贈られた際の授賞理由(ノーベル委員会の公式発表文より)。extinct(絶滅した)、hominin(人類の系統に属する種)という単語は、この分野のニュースで頻出します。

この話、こう使える

この研究の面白さは、単なる「へぇ」で終わらないところにあります。3つの角度から、日常の見方に活かせます。

注意点:この研究の限界

⚠️ この記事は医療情報ではありません 本記事で紹介した新型コロナに関する遺伝子の研究は、集団レベルでのリスクの傾向を示した疫学・遺伝学の報告であり、個人の発症・重症化を予測したり、診断・治療の指針を示したりするものではありません。健康上の不安がある場合は、必ず医療機関に相談してください。

よくある質問

自分にネアンデルタール人のDNAがどれくらいあるか調べる方法はありますか?
民間の遺伝子検査サービスの中には、独自のデータベースと照合して「ネアンデルタール人由来と考えられる遺伝子変異の数」を目安として提示しているところがあります。ただし、これはあくまで統計的な推定であり、医療的な診断ではありません。非アフリカ系の人であれば、平均するとゲノムの約2%がネアンデルタール由来だと報告されています(Sankararaman et al., 2014)。
アフリカにルーツを持つ人にはネアンデルタール人のDNAは全くないのですか?
長らくそう考えられてきましたが、2020年にChenらが『Cell』誌に発表した研究では、アフリカの人々のゲノムにもわずかながらネアンデルタール由来の痕跡が見つかったと報告されています。これは、一度非アフリカへ渡ってネアンデルタール人と交雑した集団の一部が、その後アフリカへ「逆流」して混ざり合った結果と考えられています。人類の移動史は、一方通行ではなかったということです。
ネアンデルタール人の遺伝子は、私たちの体に悪い影響しかないのですか?
そんなことはありません。Zeberg & Pääbo(2021, PNAS)は、新型コロナウイルス感染時の重症化リスクを引き下げる方向に働くネアンデルタール由来の遺伝子領域(12番染色体)も報告しています。免疫に関わる遺伝子の一部は、ネアンデルタール人がユーラシア大陸の病原体にすでに適応していたおかげで、私たちの祖先がその土地に定着する助けになったと考えられています。良い方にも悪い方にも働く、というのが実際のところです。

今日の3行まとめ

📌 これだけ持ち帰ってください 非アフリカ系の人類のゲノムには、いまも約2%のネアンデルタール人由来DNAが残っていると報告されています。
その一部は新型コロナの重症化リスクを3倍にする方向にも、22%下げる方向にも働いていました。
発見したスバンテ・ペーボは、この功績で2022年のノーベル生理学・医学賞を受賞しています。

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参考文献