もし進化というものを、教科書の年表としてではなく、実際に「起きた瞬間」まで特定できるとしたらどうでしょうか。しかもその舞台が、恐竜でも人類でもなく、道ばたの木にとまる地味な一匹の蛾だったとしたら。
イギリスに生息するオオシモフリエダシャク(英語ではpeppered moth、学名Biston betularia)は、19世紀の産業革命をきっかけに体色の比率が大きく変わったことで知られ、自然選択の代表例として長く教科書に登場してきました。2016年に『Nature』誌に発表された研究は、この体色変化の原因がたった1つの遺伝子の変化であることを突き止め、さらにその変化が起きた年まで統計的に推定してみせました。
今回は、この地味な蛾がどうやって“動く進化の実況中継”になったのか、6年がかりの野外実験と最新の遺伝子解析を追いながら見ていきます。
なぜ蛾の色が“進化の証拠”になるのか
オオシモフリエダシャクには、白地に黒いまだら模様が入った明るい色の「typica(典型型)」と、全身が黒っぽい「carbonaria(暗色型)」という2つの姿があります。ふだん昼間は木の幹にとまって休むこの蛾にとって、鳥に見つからないことは命に関わる問題です。明るい色の個体は、地衣類(ちいるい=コケに似た生物)に覆われた明るい木の幹の上でよく目立たなくなり、鳥という視覚に頼る捕食者から身を隠せます。
ところが19世紀のイギリスでは、産業革命による石炭の煤煙(ばいえん)が都市部の木の幹を黒く汚し、地衣類を枯らしてしまいました。1848年にはマンチェスター近郊で暗色型の個体が初めて記録され、その後わずか数十年で工業地帯の集団の大半を暗色型が占めるようになったと報告されています。この現象は工業暗化(industrial melanism)と呼ばれ、自然選択が実際に起きている証拠として、19世紀末から注目を集めてきました。
1950年代にはH. B. D. Kettlewellが野外実験でこの説を検証しましたが、その手法(死んだ標本を木の幹にピンで留めて撮影した写真を使った点など)には後年、方法論的な疑問も投げかけられました。ただしこれは「工業暗化そのものが誤りだった」という意味ではなく、もっと厳密な検証が必要だという指摘です。実際、その後の研究者たちは数十年かけて、より丁寧な野外実験でこの説を検証し直していきました。
実験:6年間で4864匹の蛾を野に放つ
その集大成といえるのが、遺伝学者Michael Majerusがイギリス・ケンブリッジ近郊の森で行った野外実験です。Majerusは2001年から2007年にかけて、明るい色と暗い色の蛾をあらかじめマークしたうえで、鳥が実際に狩りをする自然な密度・自然な止まり方に近い形で木の幹に放ち、その後どちらの色の個体が生き残ったかを記録し続けました。
放たれた蛾の総数は4864匹。これは同種の野外実験としては過去最大規模とされています。Majerusは実験の途中である2009年に亡くなりましたが、残されたデータはL. M. Cook、B. S. Grant、I. J. Saccheri、J. Malletの4名によって解析され、2012年に『Biology Letters』誌で報告されました。
結果:暗い色の個体だけが、狙われやすかった
解析の結果、鳥による捕食は暗色型に対して明確に偏っていました。論文では、この森(地衣類が残る、比較的汚染の少ない環境)において、暗色型に不利にはたらく1日あたりの選択係数(せんたくけいすう=どれだけ生存に不利かを表す数値)がおよそ0.1であったと報告されています。これは、20世紀後半にイギリス各地で観察された暗色型の急激な減少を説明するのに十分な強さだと結論づけられました。
実際、暗色型の割合が長期的にどう変化してきたかを振り返ると、その変化の大きさがよく分かります。研究者L. M. Cookが2003年に『Quarterly Review of Biology』誌でまとめたレビューによれば、マンチェスター周辺では1960年代にほぼ100%近くが暗色型だった地域があった一方、その後の調査ではその割合が10%を大きく下回るまで低下したと報告されています。
もちろん、この変化の速さや幅は調査地点や調査時期によって差があり、Cook自身も論文の中で「変化を説明するには1世代あたり5〜20%程度の選択圧が必要」と幅を持たせて議論しています。それでも、数十年という人間の一生に収まる時間の中で、集団の中の形質の比率がここまで大きく動いたこと自体が、自然選択の力の大きさを物語っています。
なぜこうなるのか:たった1つの“スイッチ”が変えたもの
ここまでは「暗い色が有利か不利か」という生存の話でした。では、その暗い色そのものは、遺伝的に何が起きて生まれたのでしょうか。この謎に答えたのが、A. E. van't Hofらが2016年に『Nature』誌で発表した研究です。
研究チームがゲノム(生物の全遺伝情報)を解析した結果、暗色型を生み出す原因は、cortexという遺伝子の中に、トランスポゾン(転移因子=ゲノムの中を移動できる“ジャンプする遺伝子”)が入り込んだことだと分かりました。この挿入によって、羽の模様形成に関わるタンパク質の量が変化し、体色が黒っぽくなると考えられています。
さらに研究チームは、この挿入が起きた組み換えパターンの分布を統計的に分析し、この変化が起きたのはおよそ1819年前後だと推定しました。最初に暗色型が記録された1848年より30年近くさかのぼる年です。産業革命による大気汚染がイギリスの都市部で本格的に進み始めた時期と重なっており、変異が生まれてから、それが目に見えるほど集団に広がるまでにタイムラグがあったことがうかがえます。
鳥が実際にこの色の違いをどう見ているかを、鳥の視覚モデルを使って検証した研究もあります。Walton & Stevensが2018年に『Communications Biology』誌で報告した実験では、鳥の目の見え方を再現した画像解析と野外での捕食実験を組み合わせ、背景と合っていない色の蛾ほど鳥に発見されやすいことを裏づけました。人間の目だけでなく、実際の捕食者の視覚から見ても同じ結論が得られたことで、工業暗化の説明はより強固なものになっています。
この話、こう使える
正直なところ、この話を知ったところで明日の生活が変わるわけではありません。それでも、この蛾のエピソードには、日常の会話や物の見方に使える視点がいくつか詰まっています。
- 雑談のネタとして優秀。「実は進化の証拠って、道ばたの虫でも見られるらしいよ」という切り口は、多くの人が興味を持って聞いてくれる鉄板ネタです。
- 「進化には目的がない」ことがよく分かる例。蛾は「黒くなろう」と思って変化したわけではなく、たまたま生まれていた変異が、たまたま変わった環境で有利にはたらいただけです。進化を擬人化して「〜のために進化した」と語るのは、分かりやすい反面、正確ではありません。
- 「批判されたら終わり」ではなく「批判に応えて検証し直す」姿勢。Kettlewellの実験が批判を受けたあと、研究者たちはそれを無視も全否定もせず、より厳密な実験で確かめ直しました。ニュースや主張を見るときも、一つの反論だけで白黒つけず、その後の検証まで追う姿勢が役に立ちます。
科学的な話題を英語の一次情報で追ってみたい人は、AIで英語を学ぶで紹介しているような、論文の要旨(アブストラクト)をAIと一緒に読む練習から始めてみるのもおすすめです。
注意点:この研究の限界
- 調査地点・調査年によって数値に幅がある。図1で示した数値は、Cook(2003)がまとめた複数の調査を踏まえた概数であり、単一の連続したグラフから取ったものではありません。地域差も大きく報告されています。
- 移住(遺伝子流動)の影響も無視できない。Cook(2003)自身が指摘しているとおり、ある地域の暗色型の割合は、その場所での生存率だけでなく、周辺地域からの個体の出入りにも左右されます。
- Kettlewellの手法への批判は、工業暗化そのものの否定ではない。「実験手法に改善の余地があった」ことと、「自然選択で説明できる現象ではなかった」ことは別問題です。その後のMajerusの実験や鳥の視覚モデルを使った検証によって、結論自体はむしろ支持されています。
- 1819年という推定年には統計的な幅がある。これはDNAの組み換えパターンから逆算した推定値であり、当時の記録から直接確認された日付ではありません。
よくある質問
今日の3行まとめ
その変異が生まれたのは1848年の初記録より前、統計的にはおよそ1819年と推定されています。
蛾自身は変わらず、変わったのは背景(環境)の色。合っていた個体だけが生き残りやすくなった、というのが工業暗化の正体です。
生き物の生存戦略についてもっと知りたい人は、クマムシの放射線耐性と乾眠の科学もあわせてどうぞ。同じ「過酷な環境を生き延びる」でも、蛾とはまったく違う仕組みが使われています。
今回のような、意外性があって人に話したくなる研究ネタを毎日紹介しています。次に読むネタを探すなら、雑学コーナーもおすすめです。
英語の雑学・豆知識を見てみる →参考文献
- van't Hof, A. E., Campagne, P., Rigden, D. J., Yung, C. J., Lingley, J., Quail, M. A., Hall, N., Darby, A. C., & Saccheri, I. J. (2016). The industrial melanism mutation in British peppered moths is a transposable element. Nature, 534, 102–105. 論文を見る
- Cook, L. M., Grant, B. S., Saccheri, I. J., & Mallet, J. (2012). Selective bird predation on the peppered moth: the last experiment of Michael Majerus. Biology Letters, 8(4), 609–612. 論文を見る
- Cook, L. M. (2003). The Rise and Fall of the Carbonaria Form of the Peppered Moth. Quarterly Review of Biology, 78(4), 399–417. 論文を見る
- Walton, O. C., & Stevens, M. (2018). Avian vision models and field experiments determine the survival value of peppered moth camouflage. Communications Biology, 1, 118. 論文を見る