地上ではほとんど頼まないのに、飛行機に乗ると不思議とトマトジュースが飲みたくなる——そんな経験はないでしょうか。実は、座席の下で鳴り続けるジェットエンジンの大きな音そのものが、味の感じ方を変えている可能性があると複数の研究が報告しています。

イギリスとアメリカ、それぞれ独立した研究チームが行った実験によれば、大きな騒音の中では甘みや塩味が感じにくくなる一方、トマトジュースに多く含まれる「うま味(=だしや熟したトマトに感じる、甘味・塩味・酸味・苦味とは別の基本味)」は影響を受けにくい、あるいはむしろ強く感じられやすいというのです。

マンチェスター大学とコーネル大学、それぞれのチームが行った2本の実験から、音が味をどう書き換えているのかを見ていきましょう。

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なぜ音が味を変えるのか

「味」は舌だけで決まっていると思われがちですが、私たちが実際に感じている「風味(flavor)」は、舌が受け取る基本味(甘味・塩味・酸味・苦味・うま味)に、鼻で感じる香り、見た目、歯ごたえの音まで合わさってできる複数の感覚の合成物です。この、ある感覚が別の感覚の感じ方に影響する現象は「クロスモーダル(crossmodal=感覚間の相互作用)」と呼ばれ、心理学や感覚科学の分野で研究が進められています。

この分野に注目が集まったきっかけの一つが、航空会社側の観察でした。ドイツの航空会社が、機内で乗客が消費するトマトジュースの量がビールに迫るほど多いことに気づいた、という逸話が複数のメディアで紹介されています。これは査読付きの実験データではなく、あくまで観察に基づく報告ですが、「機内では味の感じ方そのものが変わっているのではないか」という問いを生みました。

この問いを受けて、オックスフォード大学のCharles Spenceらは2014年、学術誌『Flavour』に「Airplane noise and the taste of umami」という論考を発表しています。これは新しい実験を行ったものではなく、それまでの研究を整理した仮説提示型の論考(オピニオン)である点には注意が必要です。この論考が引用する実験的な証拠が、次に紹介する2本の研究です。

実験:静かな部屋と、うるさい部屋で同じ食べ物を味わってもらう

最初の実験は、マンチェスター大学のAndy T. Woodsらが2011年に学術誌『Food Quality and Preference』に発表したものです。約48名の参加者が目隠しをした状態で、音がない条件・静かなホワイトノイズ(45〜55デシベル程度)の条件・大きなホワイトノイズ(75〜85デシベル程度、騒がしい乗り物の中に近い音量)の条件のいずれかで食べ物を味わいました。1つ目の実験では甘味・塩味・好ましさを、2つ目の実験では全体の風味・歯ごたえ(クランチー感)・好ましさを評価してもらっています。

もう一つは、コーネル大学のKimberly S. YanとRobin Dandoが2015年に『Journal of Experimental Psychology: Human Perception and Performance』誌に発表した実験です。こちらは甘味・塩味・酸味・苦味・うま味という5つの基本味すべてを、それぞれ3段階の濃度で用意し、静かな環境と、ジェット機のエンジン音を模した約85デシベルの大きな音の環境とで、味の強さの評価を比較しました。

💡 この2本を並べる理由 Woodsらの実験は「音があるかないか」「静かか、うるさいか」という音量の違いに注目した研究です。一方のYan&Dandoの実験は、実際の機内音に近い音を使い、5つの基本味すべてを比較した点が特徴です。2本を合わせて見ることで、トマトジュースの逸話がどこまで裏付けられているのかが見えてきます。

結果:甘みと塩味は弱まり、うま味はむしろ強まった

Woodsらの実験では、静かなホワイトノイズの条件に比べて、大きなホワイトノイズの条件で甘味と塩味の評価が有意に低くなりました。一方で2つ目の実験では、大きな音の条件のほうが食べ物の歯ごたえ(クランチー感)がより強く感じられると報告されています。研究チームは、音と直接関係のない味(甘味・塩味)と、咀嚼音という聴覚的な手がかりを含む感覚(歯ごたえ)とでは、騒音の影響の出方が違うのではないかと考察しています。

Yan&Dandoの実験では、大きな音の条件で甘味の評価が弱まり、うま味の評価は有意に強まったと報告されています。一方で塩味・酸味・苦味については、はっきりした影響は確認されませんでした。さらに興味深いのは、参加者ごとの反応のばらつきです。甘味とうま味の両方で大きく変化する人もいれば、ほとんど変わらない人もいたと報告されています。

基本味Woods et al.(2011)Yan & Dando(2015)
甘味弱まる(有意)弱まる(有意)
塩味弱まる(有意)明確な影響なし
うま味対象外強まる(有意)
酸味・苦味対象外明確な影響なし

塩味については2本の実験で結果が一致していません。これは使った音の種類(ホワイトノイズ対ジェット音)や濃度設定の違いによる可能性があり、「大きな音は塩味を必ず弱める」とまでは言い切れない段階にあります。

図1:大きな音のもとで、5つの基本味の感じ方がどちらに動いたか
↓ 甘味 弱まる ? 塩味 研究間で不一致 ↑ うま味 強まる ― 酸味・苦味 明確な影響なし 強く感じる 弱く感じる
甘味は弱まり、うま味は強まる方向が報告されている一方、塩味・酸味・苦味への影響は一貫していない。実測値ではなく、報告された方向性を示したイメージ図。
イメージ図:Woods et al.(2011)、Yan & Dando(2015)の報告内容をもとに作成(具体的な数値ではありません)
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なぜこんなことが起きるのか

なぜ音が味の感じ方を変えるのか、メカニズムについてはまだ決着していませんが、研究者の間で有力とされる見方がいくつかあります。

一つは、注意という限られた資源を、音と味で分け合っているという見方です。大きな音は、聞こうとしなくても脳の処理能力を一部奪います。そのぶん、味という繊細な情報の処理に使える余力が減ってしまう——ちょうど、工事現場の音が鳴り響く部屋で細かい作業をするときに、作業そのものの精度が落ちてしまう感覚に近いかもしれません。甘味のような比較的おだやかな味覚信号は、この"取り分の減少"の影響を受けやすい一方、うま味のように強く・はっきりした信号は競争に負けにくいのではないか、という考え方です。

もう一つは、音と味は別々の感覚ではなく、脳の中では互いに影響し合うようにできているという、より大きな枠組みの見方です。私たちは普段、ポテトチップスの「パリッ」という音で新鮮さを判断したり、炭酸飲料の「シュワッ」という音で爽快感を強めたりしています。音と味がもともと結びついて処理される仕組みがあるからこそ、エンジンの低く大きな音も、味の感じ方に何らかの形で入り込んでくるのだと考えられています。ただし、どちらの説明が主役なのか、あるいは両方が組み合わさっているのかは、現時点の研究だけでは判断できません。

図2:大きな音が味の感じ方に入り込むまでの流れ(イメージ)
大きな音(耳から) 味の信号(舌から) 脳の中で 注意・感覚情報が 互いに影響 味の感じ方が変化 ※ 詳しい神経の経路は、現時点ではまだ研究の途中段階
音の情報と味の情報は別々の経路から脳に入るが、途中で干渉し合い、最終的に感じる味の強さが変わると考えられている。
研究者が提案している仮説をもとにしたイメージ図(実測された神経経路図ではありません)

この話、こう使える

機内でしか起きない特殊な話に思えますが、日常の食事にもいくつかヒントがあります。

注意点:この研究の限界

⚠️ 「うま味は騒音に強い」と確定した話ではない 2014年の『Flavour』誌の論考は、それまでの研究を整理して仮説を示したオピニオン論文であり、新しくトマトジュースそのものを使って実験したものではありません。「機内でトマトジュースが好まれる」という逸話と、「大きな音でうま味の評価が強まった」という実験結果は、別々に得られた話を重ね合わせた解釈にとどまる点に注意してください。

よくある質問

結局、機内食が物足りなく感じるのはこの研究のせいですか?
音の影響は一因として報告されていますが、唯一の原因と確定されたわけではありません。機内の低い気圧や乾燥した空気は嗅覚(匂いを感じる力)を弱めると考えられており、風味の多くは匂いに支えられています。音・気圧・乾燥など複数の要因が重なっている可能性が高く、どれがどの程度効いているかはまだ研究で切り分けられていません。
家で音楽をかけながら食事をすると味が変わりますか?
Woods et al.(2011)の実験室条件では、大きな音のもとで甘みと塩味の評価が、静かな条件に比べて有意に低くなったと報告されています。家庭やレストランでも理論上同じ方向の影響が起きる可能性はありますが、この実験はコントロールされた環境で行われたものであり、実際の食事シーンでどの程度再現されるかはまだ十分に検証されていません。
うま味だけが大きな音の影響を受けないと確定しているのですか?
Yan & Dando(2015)では、大きな音のもとでうま味の評価が有意に強まり、甘味は弱まったと報告されています。ただし参加者の間で反応の大きさにはかなりの個人差があり、全員に同じように起きる現象ではありません。また航空会社の機内でトマトジュースが好まれるという逸話は、これらの実験結果を直接裏付けたデータではなく、観察に基づく話として扱うべきです。

今日の3行まとめ

📌 これだけ持ち帰ってください 大きな音の中では、甘みや塩味の感じ方が弱まる傾向が複数の実験で報告されています。
一方で、うま味はむしろ強く感じられると報告する研究もあります。
機内食や騒がしい場所での食事が物足りなく感じるとしたら、音・気圧・乾燥など複数の要因が重なっているのかもしれません。

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参考文献