泳ぎを止めたら沈んでしまう生き物や、10日間ノンストップで海の上を飛び続ける鳥は、いったいいつ眠っているのでしょうか。答えは拍子抜けするほど大胆です——脳を左右に分けて、半分ずつ交代で眠らせているのです。

イルカは眠っているあいだも片目を開けたまま泳ぎ続けることが、脳波の記録で確かめられています。渡り鳥の一種フリゲートバードにいたっては、海上を10日間飛び続ける遠洋飛行のあいだ、平均12秒ほどの"居眠り"を重ねて1日わずか42分だけ眠っていたと報告されています。この「脳を半分だけ落とす」仕組みは半球睡眠(unihemispheric sleep=片方の大脳半球だけが眠る睡眠)と呼ばれ、しかもそのごく弱い"名残"が、人間の脳にも見つかっています。論文4本をたどりながら、その正体を見ていきましょう。

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なぜ動きを止めずに眠る生き物がいるのか

多くの哺乳類にとって、眠りは「意識を手放し、周囲への反応が鈍くなる」時間です。安全な巣穴やベッドがあるからこそ許される、無防備な状態とも言えます。しかしイルカのような海の哺乳類は事情が違います。呼吸が自動的ではなく、意識的に水面へ上がって息継ぎをする必要があるため、完全に意識を失ってしまうと呼吸できず、溺れてしまう危険があります。

渡り鳥も同じ問題を抱えています。海の上には止まり木も水面での休憩もない種がいて、羽ばたきや周囲の警戒を完全に止めるわけにはいきません。「眠らなければならない」という生理的な要求と、「意識を保ち続けなければならない」という生存上の要求。この矛盾を、動物たちは脳を丸ごと落とすのではなく、半分ずつ交代で落とすという力技で両立させてきたと考えられています。

実験:イルカの脳波を記録し、渡り鳥に小さな脳波計を背負わせる

この現象を最初に脳波で裏づけたのは、旧ソ連の生理学者レフ・ムハメトフ(Lev Mukhametov)らのグループです。1970年代、自由に泳ぎ回るハンドウイルカに電極を取り付けてEEG(脳波)を記録したところ、片方の大脳半球だけが徐波睡眠(slow-wave sleep=深いノンレム睡眠に対応する、ゆっくりした大きな脳波)のパターンを示し、もう片方は起きているときと同じ脳波を示すことが繰り返し確認されました。

渡り鳥については、マックス・プランク鳥類学研究所のニールス・ラッテンボルグ(Niels Rattenborg)らのチームが2016年に『Nature Communications』誌で報告した実験が有名です。チューリッヒ大学のアレクセイ・ヴィソツキー(Alexei Vyssotski)が開発した小型のEEG記録装置を、ガラパゴス諸島に生息する渡り鳥フリゲートバード(Fregata minor)の背に取り付け、海上を最大10日間・約3,000kmにわたってノンストップで飛ぶ遠洋飛行のあいだ、脳波と頭の動きを記録しました。飛行中のデータが取れた個体は14羽、陸に戻ったあとの比較データも9羽から得ています。

💡 この実験デザインが面白い理由 イルカの実験は「水槽で自由に泳がせながら」、鳥の実験は「実際に海の上を飛んでいる最中に」脳波を記録している点が共通しています。どちらも研究室の作り物の状況ではなく、本物の生存場面での眠りを捉えているのが強みです。

結果:イルカは片目を開けたまま眠り、鳥は空の上で"居眠り"していた

イルカのEEG記録では、片方の大脳半球が徐波睡眠を示しているあいだ、反対側の目がおおむね閉じ、もう片方の目は開いたままになっていることが確かめられました。脳の左右で眠りを交代させながら、開いている目で周囲を見張り、呼吸のために水面へ上がるタイミングも逃さないというわけです。

フリゲートバードの記録はさらに驚くべきものでした。飛行中の脳波には、片方の半球だけが眠る「半球睡眠」だけでなく、両方の半球が同時に眠る「両側性の徐波睡眠」も見つかったのです。それでも墜落しなかったことから、研究チームは「飛行の安定にはユニヘミスフェリック(半球)睡眠が絶対に必要というわけではない」と結論づけています。眠りの1回あたりの長さは平均でわずか約12秒。これを積み重ねても、飛行中の総睡眠時間は1日あたり0.69時間(約42分)にとどまり、陸に戻って休んでいるときの1日あたり12.8時間と比べると、わずか7%程度しかありませんでした。

図1:フリゲートバードの1日あたりの睡眠時間(飛行中 vs 陸にいるとき)
0.69時間(約42分) 12.8時間 飛行中(10日間の遠洋飛行) 1回平均12秒の"居眠り"の合計 陸に戻ったとき 通常の睡眠時間 13時間 0時間
14羽のフリゲートバードから得られた飛行中の脳波記録によると、1日あたりの睡眠時間は陸上のわずか7%程度にまで切り詰められていた。
出典:Rattenborg et al. (2016, Nature Communications) の報告データをもとに作図

さらに興味深いのは、眠っている最中の"見張り方"です。フリゲートバードは主に上昇気流に乗って旋回しているあいだに眠り、片方の半球だけが眠っているときは、起きている側の半球につながる目を、旋回している進行方向に向けたままにしていたと報告されています。眠りながらも、行き先だけは見ているというわけです。

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なぜこうなるのか

脳を半分ずつ眠らせるという仕組みは、「眠り」を私たちが思っているよりずっと融通の利くものだと教えてくれます。人間の感覚では"睡眠不足"としか思えない1日42分の睡眠でも、フリゲートバードは10日間の飛行を無事にこなしていました。眠ることそのものの絶対量よりも、どのタイミングで・脳のどの部分を休ませるかのほうが、生存にとって重要な場面があるということです。

この"眠りの融通の利きやすさ"を極端な形で示しているのが、生まれたばかりのクジラやイルカです。カリフォルニア大学ロサンゼルス校のオレグ・リャミン(Oleg Lyamin)らのチームが2005年に『Nature』誌で報告した観察によれば、シャチとハンドウイルカの新生児とその母親は、生後1か月ほどのあいだ、通常の意味での休息をほとんどとらずに泳ぎ続けていたとされています。母子は「エシュロン(雁行)隊形」と呼ばれる並び方で寄り添いながら泳ぎ続け、その後数か月かけて、少しずつ通常の休息パターンに近づいていったと報告されています。

生まれてすぐの赤ちゃんが泳ぎ続けなければならないのは、体温を保ち、母親と離れず、天敵から身を守るためだと考えられています。人間なら生後すぐの赤ちゃんが「一睡もしない」となれば一大事ですが、鯨類にとっては、それすらも許容範囲に収まってしまう——眠りという現象が、種によっていかに違う形をとりうるかがよく分かる例です。

図2:脳を"半分ずつ"眠らせる仕組み(概念図)
脳を左右交代で眠らせるイメージ 眠っている側(左脳) 目は閉じたまま ゆっくり大きい波(徐波睡眠) 起きている側(右脳) 目は開いたまま 速く細かい波(覚醒に近い)
イルカや渡り鳥の半球睡眠では、脳の左右で「眠っている側」と「起きている側」がはっきり分かれ、起きている側につながる目が周囲を見張り続ける。
Mukhametovらおよび Rattenborg et al. (2016) の知見をもとにしたイメージ図(実測の脳波そのものではありません)

この話、こう使える

ここまでは動物の話でしたが、実は人間の脳にも「半分だけ見張りに立つ」仕組みのごく弱い名残があることが分かっています。ブラウン大学のマサコ・タマキ(Masako Tamaki)らが2016年に『Current Biology』誌で報告した実験では、EEG・MEG(脳磁図)・MRIを組み合わせて、35名の参加者の脳活動を、1週間の間隔を空けた2回の睡眠にわたって精密に記録しました。

その結果、初めて眠る場所での"1日目の夜"だけ、左脳のデフォルトモードネットワーク(default mode network=安静時にも一定の活動を続ける脳のネットワーク)が右脳より高い活動を保っていることが分かりました。さらに、眠っている最中に音を聞かせる実験では、1日目のほうが物音への反応(指でタップする速さ)も速かったと報告されています。2日目になるとこの左右差は消え、眠りそのものも深くなりました。研究チームは、これを人間にわずかに残る「夜の見張り」システムだと解釈しています。

🧠 ざっくり言うと 新しいホテル・ホームステイ先・合宿の初日に眠りが浅くなるのは、意志や体質の問題ではなく、脳が「念のため見張っておこう」と働いている証拠かもしれません。2日目以降は自然と深く眠れるようになることが、研究からも見込めます。

留学やホームステイ、英会話合宿など、慣れない場所で最初の夜を迎える機会が多い人ほど、この仕組みを知っておくと気が楽になります。初日の睡眠の質を基準にして「自分は環境が変わると眠れない」と決めつけず、2日目以降の本来のコンディションを見込んでスケジュールを組む——例えば大事なテストや面談を渡航初日ではなく2日目以降に設定する、といった工夫が現実的な対策になります。英会話の独学ロードマップでも触れているとおり、環境が変わる直後の数日は「本番」ではなく「慣らし運転」と割り切るのがおすすめです。

注意点:この研究の限界

ここまで読むと「人間もイルカと同じように脳を半分眠らせている」と思いたくなりますが、それは行き過ぎです。研究の外側まで結論を伸ばさないために、正直に限界も書いておきます。

⚠️ やりがちな誤解:人間の「第一夜効果」を動物の半球睡眠と同一視してしまう Tamakiらが見つけたのは、あくまで両方の脳が眠っている中での、活動レベルのわずかな左右差です。イルカや渡り鳥のように、片方の半球がはっきりと覚醒状態の脳波を示すわけではありません。「人間にも半球睡眠がある」と言い切るのは、研究が示した範囲を超えた表現です。

要するに、動物たちの半球睡眠と人間の第一夜効果は同じ現象ではなく、"見張りながら眠る"という発想を共有する親戚どうしくらいに捉えるのが正確です。

よくある質問

人間も動物のように「脳を半分だけ」眠らせることができるのですか?
イルカや渡り鳥のような、はっきりした半球睡眠ではありません。Tamakiら(2016)が確かめたのは、新しい環境で眠る1日目だけ、左脳の一部(デフォルトモードネットワーク)が右脳より高い活動を保ち、物音への反応も速いという「左右差」です。両方の脳は眠っていますが、片方がわずかに「見張り」寄りになっている、というのが正確な言い方です。
イルカは一生のあいだ、まったく完全には眠らないのですか?
成体は脳を左右交代で眠らせることで、実質的な休息をとっていると考えられています。ただしLyaminら(2005)の報告によれば、生まれたばかりのシャチやハンドウイルカの赤ちゃんとその母親は、生後1か月ほどはほとんど休まず泳ぎ続け、その後数か月かけて少しずつ通常の休息パターンに近づいていくとされています。
新しい場所で眠れないとき、どうすればいいですか?
研究が示すのは、初めての場所での寝つきの悪さや浅い眠りは、脳が正常に働いている証拠だということです。1日目の睡眠の質が普段より落ちても過度に心配せず、2日目以降にコンディションが戻ってくることを見込んでスケジュールを組むのが現実的な対処法です。眠れない状態が長く続いて不安な場合は、自己判断せず医療機関に相談してください。

今日の3行まとめ

📌 これだけ持ち帰ってください イルカは脳を左右交代で眠らせ、片目を開けたまま泳ぎ続ける「半球睡眠」を行っている。
フリゲートバードは10日間の飛行中、1回平均12秒・1日わずか42分の"居眠り"で足りていた(Rattenborg et al., 2016)。
人間にもその弱い名残があり、新しい場所での第一夜は左脳が"見張り"寄りになる(Tamaki et al., 2016)。初日に眠れなくても、それは脳が正常に働いている証拠かもしれない。

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参考文献