行列に90分並んだラーメン店。実際に食べてみたら、正直そこまでではなかった。それでも「ここまで並んだんだから」と、もう一杯追加してしまった経験はないでしょうか。
経済学や心理学では、この「もったいない」にまつわる判断のクセをサンクコスト効果(埋没費用効果)と呼びます。1985年に発表された心理学の実験では、まったく同じ投資案件について、「すでにお金を使ったかどうか」を伝えるだけで、"続行すべき"と答えた人の割合が85%から17%まで変わりました。しかも近年の研究では、よく似た現象がマウスやラットの行動実験でも確認されています。
本当に厄介なのは、「もったいない」という感情そのものではなく、それが"合理的なはずの判断"をどれだけ静かに書き換えているか、本人が気づけない点にあります。今回は、この効果を示した代表的な実験と、科学者のあいだで今も続く論争を、論文5本から読み解きます。
なぜ「もったいない」で判断がゆがむのか
伝統的な経済学の考え方では、すでに支払ったお金や費やした時間(サンクコスト=埋没費用)は、これから先の意思決定に影響すべきではないとされています。どちらを選んでも戻ってこない以上、判断材料にすべきは「この先、何を得られるか」だけのはずだからです。
ところが現実には、人はしばしばサンクコストを基準に判断してしまいます。この現象は「コンコルド効果」とも呼ばれます。英仏共同開発の超音速旅客機コンコルドが、採算が合わないと分かってからも開発・運航が続けられた逸話にちなんだ呼び名です。つまらない小説を「ここまで読んだから」と最後まで読み切る。含み損の出ている株を「損を確定させたくない」から手放せない。うまくいっていない契約を「もう何年も続けてきたから」という理由だけで続ける——いずれも、これから先の見込みより、過去にすでに使ったものの大きさが判断を左右しているケースです。
実験:心理学の質問紙と、マウスを使った実験
この分野でもっとも頻繁に引用される研究のひとつが、オハイオ大学のHal R. ArkesとCatherine Blumerが1985年に『Organizational Behavior and Human Decision Processes』誌に発表した論文です。代表的な2つの実験を見てみます。
ひとつは、こんな質問です(実験1)。「100ドルのミシガン行きスキー旅行のチケットを買った後、50ドルのウィスコンシン行きスキー旅行のチケットも買ってしまった。両方とも同じ週末で、ウィスコンシン旅行のほうが楽しめそうだと分かっている。チケットは今さら売れない。どちらに行くか」。
もうひとつは、企業の投資判断を模した質問です(実験3)。参加者は航空会社の社長の立場で、レーダーに映らない新型機の開発計画について2種類の質問に答えます。
- 質問A:すでに研究費の90%(1000万ドル)を投資済み。そこへライバル社がより速く経済的な競合機を売り出した。残り10%を投じて完成させるべきか
- 質問B:まだ何も投資していない段階。同じ競合機がすでに市場に出ている状況で、最後の100万ドルを投じて新型機を開発すべきか、という社員からの提案
2つの質問は、完成後の計画の中身(コストに見合わない性能の新型機)がほぼ同じになるよう設計されています。違うのは「すでにお金を使ったかどうか」だけです。この研究チームは、オハイオ大学の実際の演劇シーズンチケット販売でもフィールド実験を行いました(実験2)。チケット窓口に来た最初の60人を定価(15ドル)・2ドル割引・7ドル割引の3グループにランダムに割り振り、半年にわたって実際の観劇回数を記録しています。
仮想のシナリオだけでなく動物実験まで広げたのが、ミネソタ大学のBrian M. SweisとA. David Redishらが2018年に『Science』誌で発表した論文です。マウスとラットには4つの「レストラン」を回る迷路(Restaurant Row)を使い、各レストランの手前で鳴るトーンで「あと何秒待てばエサがもらえるか」を知らせました。ヒトには同じ構造を動画視聴に置き換えた課題を用意し、3種とも「待ち時間の長さ」と「途中であきらめる割合」の関係を調べています。
結果:投資ゼロなら17%、投資済みなら85%が「続行」
スキー旅行の質問(実験1)では、61人の回答者のうち33人(54%)が、より楽しめるはずのウィスコンシン旅行ではなく、すでに高い代金を払ったミシガン旅行を選びました。合理的な理論どおりなら全員がウィスコンシン旅行を選ぶはずですが、実際には半数以上が「高く払ったほう」に流れたことになります。
航空機の質問(実験3)では、差はさらにはっきりしました。すでに1000万ドルを投資済みという設定の質問Aでは、48人中41人(約85%)が開発続行に賛成しました。ところが、まったく同じ計画でも投資がまだゼロという設定の質問Bでは、60人中10人(約17%)しか賛成しませんでした。論文では、この差がχ²検定で統計的に非常に強く裏づけられたと報告されています(p < .001)。
演劇のフィールド実験(実験2)でも、同じ傾向が実際の行動として確認されました。シーズン前半(最初の5作品)の使用チケット枚数は、定価購入グループが平均4.11枚、2ドル割引グループ3.32枚、7ドル割引グループ3.29枚でした(p < .05・片側検定)。
| 実験 | 条件の違い | 結果 |
|---|---|---|
| 実験1(スキー旅行) | 好みより高く払った旅行を選ぶか | 54%(33人/61人)が選択 |
| 実験3(航空機・質問A) | 1000万ドル投資済みで続行判断 | 約85%(41人/48人)が賛成 |
| 実験3(航空機・質問B) | 同じ計画で投資ゼロから判断 | 約17%(10人/60人)が賛成 |
| 実験2(劇場) | シーズン前半の観劇チケット使用数 | 定価購入 平均4.11枚 vs 割引購入 平均3.3枚前後 |
興味深いのは、この効果がシーズン後半(6〜9か月後)には消えていたという報告です。後半の使用枚数は定価グループが2.28枚、割引グループが1.84〜2.18枚で、統計的な差は見られませんでした。サンクコストの影響は永続するものではなく、時間とともに薄れていくようです。Sweisらの動物実験でも、マウス・ラット・ヒトのいずれで、すでに長く待った状況ほど途中で切り上げにくくなるという、よく似たパターンが報告されています。
なぜこうなるのか
Arkes & Blumerは、この効果の背景にある説明として「無駄にしたくない」という欲求と、プロスペクト理論(Kahneman & Tversky, 1979)における損失回避の考え方を挙げています。プロスペクト理論では、人は同じ金額でも「得る喜び」より「失う痛み」を強く感じるとされます。すでに使ったお金を手放す(=損失として確定させる)ことは心理的に痛みを伴うため、その痛みを先延ばしにしようとして、さらに資源を投じてしまう、という説明です。
たとえるなら、すでに大きく負けているギャンブラーが「ここで引けば今日の負けが確定する」と考え、さらに賭け金を積み増してしまう状況に近いものです。冷静に見ればこれ以上賭けても期待できる結果は変わらないのに、「負けを認めたくない」という感情だけが次の一手を決めてしまいます。
Sweisらの研究が示唆しているのは、この仕組みが人間の高度な"知的な誤り"というより、もっと根の深い、動物にも共通する意思決定のクセかもしれないという可能性です。マウスやラットが「もったいない」という言葉を理解しているはずはありませんが、投資した時間の長さがその後の行動パターンに同じ方向で影響していたという報告は、この現象の起源が人間の文化や論理だけでは説明しきれないことを示唆しています。
この話、こう使える
サンクコスト効果の実験結果を、そのまま日常の判断に当てはめることはできません。ただ、「判断をゆがめる仕組み」が分かっていると、使える視点はいくつかあります。
注意点:この研究の限界
ここまで読むと「もったいないと思うのはすべて非合理」と言いたくなりますが、話はそう単純ではありません。研究の外側まで結論を伸ばさないために、正直に書いておきます。
- 多くの実験は仮想のシナリオである。 実験1や実験3は実際にお金が動かない質問紙調査です。実際の行動データを取った実験2(劇場)でも効果はシーズン後半には消えており、強さや持続性は文脈によって変わる可能性があります。
- サンクコストを考慮することが、常に非合理とは限らない。 経済学者のMcAfeeらは、評判や情報的価値、契約上の制約を考慮すると、サンクコストに反応する行動が合理的に説明できる場面もあると指摘しています。
- 文化差・個人差の検証はまだ十分ではない。 Arkes & Blumerの実験はいずれも米国の大学生が対象で、文化的背景の異なる集団でどこまで再現されるかは個別の検証が必要です。
サンクコスト効果はいつでも・誰にでも・同じ強さで起きる法則ではなく、条件によって強くも弱くもなる、人間の(そしておそらく一部の動物の)判断の傾向だと理解しておくのが実情に近いでしょう。
よくある質問
今日の3行まとめ
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- Arkes, H. R., & Blumer, C. (1985). The Psychology of Sunk Cost. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 35(1), 124–140. 論文を見る
- Sweis, B. M., Abram, S. V., Schmidt, B. J., Seeland, K. D., MacDonald, A. W., III, Thomas, M. J., & Redish, A. D. (2018). Sensitivity to "sunk costs" in mice, rats, and humans. Science, 361(6398), 178–181. 論文を見る
- Strough, J., Mehta, C. M., McFall, J. P., & Schuller, K. L. (2008). Are Older Adults Less Subject to the Sunk-Cost Fallacy Than Younger Adults? Psychological Science, 19(7), 650–652. 論文を見る
- Garland, H., & Newport, S. (1991). Effects of absolute and relative sunk costs on the decision to persist with a course of action. Organizational Behavior and Human Decision Processes, 48(1), 55–69.
- Ott, T., Masset, P., Gouvêa, T. S., & Kepecs, A. (2022). Apparent sunk cost effect in rational agents. Science Advances, 8(6), eabi7004. 論文を見る