📖くわしく解説します
「うるう年は4年に1度」とだけ覚えている人がほとんどですが、これは正確ではありません。正式なルールは①4で割り切れる年はうるう年、②ただし100で割り切れる年は例外でうるう年にしない、③ただし400で割り切れる年はさらに例外でうるう年に戻すという三段階の判定です。1900年は4でも100でも割り切れますが400では割り切れないため平年、2000年は400でも割り切れるためうるう年になりました。次にこの判定が実際に効いてくるのは2100年で、この年は平年になります。
この面倒な例外が生まれた理由は、古代ローマにさかのぼります。紀元前45年、ユリウス・カエサルは天文学者ソシゲネスの助言を受け、1年を365.25日とみなし、4年に1度2月に1日を足すユリウス暦を制定しました。ところが実際の1年(地球が太陽を1周する時間)は約365.2422日で、ユリウス暦はここから1年あたり約11分だけ長く見積もっていたことになります。
たった11分のズレも、積み重なれば無視できません。ユリウス暦の制定から1500年以上が経った16世紀には、暦と実際の季節のあいだに約10日のずれが生じていました。この誤差を正すため、1582年、教皇グレゴリウス13世は天文学者アロイシウス・リリウスが考案しクリストファー・クラヴィウスが完成させた新しい暦法を採用します。まず10日分を帳消しにするため10月4日の翌日をいきなり10月15日にするという荒業を行い、さらに将来同じズレが起きないよう「100で割り切れる年は原則うるう年にしない、400で割り切れる年だけは元に戻す」という補正ルールを加えました。これが今も使われているグレゴリオ暦です。
ただし新暦への切り替えは世界一斉には進みませんでした。カトリック圏はすぐに1582年から移行しましたが、プロテスタントのイギリスが重い腰を上げたのは170年後の1752年で、9月2日の翌日がいきなり9月14日になり、暦の上から11日間が消えるという騒動になりました。ロシアにいたっては1918年までユリウス暦を使い続けており、1917年に起きた「十月革命」が世界の大半が使うグレゴリオ暦では11月7日の出来事になる、というねじれもこの暦の違いから生まれています。
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❓まとめ
Q. 2000年はうるう年だったのに、1900年には2月29日が無かった——同じ「4で割り切れる年」なのに、何が違うのか?
A. うるう年の本当のルールは「4年に1度」ではなく、100で割り切れる年は例外的にうるう年にしない。ただし400で割り切れる年はさらに例外でうるう年に戻すという二段構えです。この補正は、暦と実際の季節のずれを正すため1582年に加えられました。